思考の足あと~Andanteで進もう~

小学校教員。国語、視聴覚、情報、図工、生徒指導。4人の子供を育てながら、料理時々コントラバス。努力なくして成功なし!〜The only time success comes before work is in the dictionary.〜

「かくれたカリキュラム」に光を当てて授業改善!

「あなたのクラスの状態は学級崩壊です。」

 

 これは教員になりたての頃、臨採で担任を持っていたときに教頭先生から言われた言葉です。その時は、「この人は何を言い出したんだ?どういうこと?」って思っていました。いや、このブログを書く今日の今日までそう思っていました。そんな訳ないって。今日はそんな話をします。

 

昨年から積ん読だったこの本

 どうしてこの話をしようと思ったかというと、一冊の本を読み終わってアウトプットをしたいと考えたからです。そして、過去の自分を助けてあげたくなったからです。

その指導、学級崩壊の原因です! 「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド

 この本は、近所のフタバ図書にふらりと立ち寄って、『何かおもしろそうな本はないかな?』と考えていたときに偶然目に飛び込んできた本です。表紙を見ながら当時の教頭先生の声が脳内に響いてきました。

「あなたのクラスの状態は学級崩壊です。」

 いや、そんなことはない。自分で自分のことを肯定しました。こういうのって「正常性バイアス」って言うんでしょうか?それとも「現状維持バイアス」って言うんでしょうか? ただ、その数年後も少し危ない時期がありましたので、自分自身に原因がかくれているのではないか?と考えました。

 

 

かくれたカリキュラムとは

権藤氏は著書の中で、かくれたカリキュラムを「教師が意図も意識もせずに教え続けている教育内容」と紹介しています。 

 例えば、

  • 教室の掲示
  • 教師の身なり
  • 言葉かけ
  • 児童への対応
  • 指導

先生が一生懸命やっているにもかかわらず、子どもたちが集中できていないのは、先生が意図せずに教えてしまっているカリキュラムがあるのではないか?と仮説を立て、そのかくれたカリキュラムに光を当てて見えるようにすることで実践の改善や強化を進めていこうという話でした。細かく場面を分けて、こんな場面では、「〇〇(ある指導)が、〇〇(子どもたちの反応)につながる」という事例を一つずつ紹介していました。

 

僕が一番気を付けなければいけないと感じたことは、児童の指名と発言のさせ方についてです。この3年間、6年生を3回担任しました。どの学級でもなかなか発言が活発にならず、どうすればいいのか?という疑問だけで特に何も策を講じていませんでした。それこそが「かくれたカリキュラム」だと気づきました。挙手がなければ挙手をするように、発言が少ないなら発言を多くするように、教師側が策を講じる必要があったのです。

 列で指名をして全員発表にする、挙手をした児童全員にきちんと発言権を与える、間違えることで授業が活発になるからこそ、たくさんの発言をするようにと働きかける行為こそが大切だったのだと感じました。 

 このように、自分の意識している範囲を増やすことで、授業改善がどんどん進んでいくことが分かりました。権藤氏は図を使いながら、次のように説明しています。

 

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 図は、力のある教師とない教師の対比イメージです。人間の意識は、よく氷山に喩えられます。ほとんどは無意識の領域で、意識の療育は少ないと言われます。力量のある先生は、自分の「かくれたカリキュラム」にたくさんの光を当て、改善し続けています。「そんなところまで考え抜いているのか」と驚くほど、いろいろなことに配慮していたり、周到に準備をしていたりしています。意識の領域が広いのです。(p.85)

 

 この本から学んだこと

 1.言わないことも指導になる

注意していないこと、気付かなかったこと、話を後回しにしてしまったこと、その場で伝えなかった行為そのものも指導になってしまう。言葉だけではなくて、児童は教師の行動もよく見ていることを自覚する必要があります。

 

 2.意識の範囲を広げることが改善につながる

 発言の意図、机間指導の意図、板書の意図、関係づくりの意図、雑談の意図……意識することで、自分の行動は作戦になり武器になります。

 

 せっかく感じたことを自分だけで留めておくのはもったいないし、考えたことを表現して伝え続けないと記憶に残らないことも分かったので、ちょくちょく思い出しながら意識の範囲を広げていきたいと思います。

 

最後に、過去の自分を思い出してみる

 そういえば、、と自分の記憶をたどってみました。4月、授業をどのように組み立てたらいいのかわからず、かといって誰かに相談することができませんでした。自分の授業のイメージをなぞるように日々を過ごしていました。週案を立てる時間が取れず、途中からは教科だけを週案に書き込み、児童と一緒に教科書を開いて授業をしたこともありました。宿題を見る時間もノートを見る時間もどこにあるのか見当つかず、帰りの会に急いで漢字ノートに丸をしていました。きっと毎時間何かを探していたと思います。児童が帰ってから教室の片づけをして、隣の先生と授業のことや進度の確認をし、プリントや成果物の確認をしていたらあっという間に18時。テストの丸付けを19時過ぎからしたことも1回2回ではありません。毎日のように保護者に電話連絡をしていたし、1時間近く電話をすることが何日も続きました。一人の児童の行動を抑えることがなかなかできず、教室の授業が中断したこともありました。家庭訪問に行くことも何度もあった気がします。自分の失言から児童同士の関係を壊してしまい、保護者からお怒りの電話や手紙をいただきました。また、同時期に他の児童ともいざこざがあり、両方の保護者を巻き込んでしまいました。いつも気が付くと21時頃。家に帰る頃には22時になっていて、実家だったからご飯を貪り食って泥のように寝て、7時20分に家を出て…。繰り返す毎日をなんとかかんとかやっていた気がします。当時の自分は、これが当たり前だと思っていました。クラスの様子はあまり思い出せませんが、落ち着いていて何事もうまくいったなんてことはなかったと思います。

 

 って、ここまで自分のことを書いてみて確信しました。この状態は、「学級崩壊」もしくは「教師崩壊」の状態でした。当時の教頭先生、自分を救い上げてくれてありがとうございますという気持ちになりました。昨日までは「このくそ!何でそんなこと言うんだ!こんなにがんばっているのに!」と思っていたので、えらい違いです。当時の自分にこの本を見せてあげたいです。きっとたくさんの気づきがあるはずだから。