思考の足あと~Andanteで進もう~

小学校教員。国語、視聴覚、情報、図工、生徒指導。4人の子供を育てながら、料理時々コントラバス。努力なくして成功なし!〜The only time success comes before work is in the dictionary.〜

休校開けの登校日にしたいこと

 今日は朝から「天使にラブ・ソングを…」の映画を見ました。子どもたちが起床して来たので半分しか見れませんでしたが、最初はひどかった歌がきれいに声が合うようになり、ミサで披露する場面で、自信をもってステージに立っている姿に心打たれました。こういう映画を見ると、合唱ってすてきだなって改めて感じさせられます。

 

 ただ、これから休校が明けて授業が再開したとしても、音楽の授業で歌を歌うことは難しそうですね。分散登校であれば、人数が少なくて恥ずかしさが倍増しますし、大きな声を出すこと、向き合うことで感染のリスクを上げてしまいます。このように、学校が再開されると、児童や教職員の命を守るために考えるべきことが無数にある気がします。

 

 子どもはいつか登校してきます。全員ではないかもしれないし、授業としてではなく登校日としてかもしれない。でも、そんな時に自分たちが何を伝えてどう接すればいいのかを考えておくことは必ず役に立ちます。そこで今日は、休校開けに子どもたちに伝えたいことを考えようと思います。

 

 

 コロナ明けの登校日にすること・伝えること

 

 久しぶりに児童に会うと思うので、しっかりと笑顔で「おはようございます!」とあいさつをします。もちろんマスクは着用です。

 学校はまだまだ不安がいっぱいだし、登校するということは感染のリスクを上げてしまうということ。いろいろな選択肢の中から登校することを選んだ子どもたち(とその保護者)には、精いっぱいの感謝と、しっかりと予防していきたいという覚悟をもって臨みたいです。

 

  ① 健康観察

 初めに「健康観察」をします。家で検温してから登校しているので、体温の確認をしなければいけません。もしも検温を忘れて登校してしまった児童がいれば、職員室か保健室で検温してから教室に入るようにし、検温していなければ教室に入らないことを原則としておくといいですね。

 

 そのあと、この2~3ヶ月の間に病気になったかどうかを確認しようかなと最初は考えていました。でも、みんなの前で聞くことには少し危険があると思い始めました。家に帰りながら他の友達に「○○くん、このお休みの間に風邪になったらしいよ…」と伝えたとしたら……。後でも出てきますが、この話題から「いじめ」の問題に発展することは避けなければいけません。教室の中で安易に「休校中、体調が悪くなったこと」について話題にするのは好ましくないですね。うん、やめておこう。

 もしも、どうしても気になる!聞いておきたい!!と思ったら、全員に紙を配って、いくつか質問項目を伝え、その中にそっとこの質問を加えておこうかな。

 

 このブログを書いて考えを整理してよかったです。うっかり聞いてしまうところだったかもしれない……(汗

 

②気を付けること

 普段の学校生活の過ごし方について、3密の観点から話をします。厚生労働省のHPには、次のようなパンフレットがあります。

 

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3つの密

 ただ、このままでは「学校生活の過ごし方は、すべて3密に当てはまるのでは?」と不安を煽りかねません。いや、実際はそうなんですけどね。友達とは話をしない方がいい、落とし物に気付いても拾わない方がいい、不必要にあいさつをしなくてもいい、他の人の触ったものにはできるだけ触れたくない……そんな風に考え出すと学校がとてもつまらなくて味気ないものになってしまいます。学校が面白くない、行きたくないと思わせることは本意ではありませんし。

 

 でも、じゃあ「すべて大丈夫!心配ないよ!今までの生活に戻そう!」というわけにはいきません。「新しい生活様式」を具体的にイメージさせながら、一人一人が何をすべきなのか、してはいけないのかをていねいに確認していくことが必要です。

 

 トイレに行くときにはどうすればいいか?休憩時間、友達と話をするときには何に気を付けたらいいか?登下校はどうすればいいか?帰宅してから気を付けることはないか?など、子どもたちにはとても身近な具体例から切り込んで考えさせることが大切です。

 

 だめだと一方的に伝えるのではなく、どうすればできるようになるか、どんな工夫をすれば大丈夫と言えそうか、教室内で話し合いをしたいと思います。子どもたちと一緒に考えながら、最適解を見つけていきたいです。キーワードは、どうすればできるかですね。

 

【例】休憩時間、友達と話をするときには何に気を付けたらいいか?

・最低1mの距離を取って話をする。

・真正面ではなくて、横から話をする。

・自由帳やホワイトボードを使って筆談をする。

・手指の消毒をしてから話をする。

・体に触れることはしない。

 

 そして何より、「何のために3密を防がなければいけないのか?」についても押さえておく必要があります。新型コロナウイルスに感染することを避けるためなのですが、その理由を突き詰めていくと、自分の命を守るため、そして周りの人の命を守るためと言えると思います。命を守るための行動をみんなでしていこうよ!と伝えれば、子どもたちへの理解が少し変わる気がします。先週、校長先生からこの話を聞いて、僕自身がすごく納得したし、ストンと腑に落ちました。

 

③心に寄り添うこと

  この休校期間中、子どもたちは様々なストレスを抱えていたと思います。友達と会えないこと、学習が進まないこと、家族とのかかわり・・・。4人の我が子を見ていると、毎日の宿題の時間が苦痛で苦痛で仕方がないといった様子でした。

 学校が再開することで子どもたちの悩みが解消するわけではありません。悩んでいる子が、保護者に打ち明けていればよいのですが、「心配をかけたくないから」と自分の心の中だけに秘めている子も一定数はいるのではないかと思っています。

 

 子どもたちには、この休校の間に困ったことや悩んでいたことについてアンケートなどを利用して聞き取りたいと思っています。解決すべき事案はきちんと誠意をもって、覚えておくべき内容はしっかりと書き留めて。すべては安心して生活できる環境を整えるためです。子どもにとっても親にとっても。

 

 また、コロナに感染してしまった人たちへ対する理解についても考える必要があると思います。職員室で、コロナに感染した人が近所からひどくバッシングを受けたことを聞きました。名前などは公表されていなかったはずなのですが、いつの間にか特定されて噂になっていったそうです。

 

 コロナに感染するかどうかを本人が選択したわけではないのに、「感染したその人が悪い」「菌を持っているから」と忌み嫌うことは、「いじめ」の構図と同じです。子どもたちにも、あなたが感染するかもしれない、あなたの家族が感染するかもしれない、友達が感染するかもしれない、誰が感染するかは分からないけど、だれが悪いわけではないし、それを理由にしていじめることは許されないと伝える必要があります。

 

ただ、これは、登校日という限られた時間の中でどのようにするか、しっかりと計画を立てたいと思います。道徳の授業として教材を作ってもいいかもしれません。実際の新聞記事などから、どのようにかかわるかを考えることは、道徳的実践力につながると思います。

 

まとめ

今日は、コロナの休校開けの登校日にしたいこと、伝えたいことについて考えました。

①健康観察

②気を付けること

③心のケア

の3つについて、考えたことをもとにして取り組みたいと思います。何が子どものためになるのかを一番に考えながら接することを忘れないようにします!!

 

 

 僕自身は、この休校期間で体重が増加してしまったことが気がかりでしたが、それ以上にしんどかったのは職員室にずっといなければいけないことでした。大人との会話があまり得意ではないからです。会話にはエピソードが大切だと気づいたのはこの1、2年前で、子どもの時から社会人になってもエピソード的な記憶があまりなく、写真みたいに切り取られたものばかりでした。話をしても大体しか覚えていないので概要しか伝えられず、面白くならないことが多かったので、職員室の時間は苦痛でした。話を聞くのは楽しくて楽だったのですが、自分の話を脳内から引っ張ってくるのにいつも苦労しています。(この悩みは現在進行形です………。)

 

なりたい自分になるために。記憶と話題について

 昨日、大笑いをしたことってどんなことだったっけ?と考えても考えても思い出せない。自分が興味をもって話をしていたはずなのに…。どうして思い出せないのか、「自分には記憶力がないからだなぁ」と考えていたのですが、駒崎弘樹さんの「働き方革命」という本を読んでいて、気づかされたことがありました。

 

 

なりたい自分になれる

 よくよく思い出してみると、昨日はお昼から会議だったので午前中はお休みをいただいて4人の子どもたちと一緒に過ごしました。長男は宿題に午前中いっぱい掛かっておりました。「近」という漢字をノートに書いていたのですが、しんにょうって形がとりにくいですよね。「ひらがなの『え』みたいに左下が重なるようにしたらいいよ」って伝えたら、重なった後にしっかりとしたに折れ曲がってから右ばらいをするようになってしまって『しんにょうの教え方って難しいなぁ』とつくづく感じたところです。

 

 授業しないし、Tシャツにカーディガンを羽織って出勤しようか迷ったけど、襟のついたカッターシャツを着ることにしました。誰に何かを言われるわけではないのに、なんか仕事っていうとシャツっていうイメージを持っています。もう半袖にしているんですけどね。クールビズ最高!!

 

 会議では、来週からのことや6月からのこと、行事をどうするのか、授業をどうするか、指導すべきこと、できることとしてはいけないことなどを検討しました。いやぁ、どれも難しい問題ばかりで、自分がこの問題にどう向き合っていくかを考え続けていく必要があると思いました。終わりの見えない話し合いって考えることが多すぎてぐったりしてしまいますよね。気づけば2時間……。

 

 校長室での会議が終わった後に、学年の先生と「野外活動をどうしようかね」という雑談になりました。

「このコロナ禍の中ではできないかもしれない。じゃあ、学校に残って、グラウンドで焚火をしながら、星空を眺めたいね」

「だったら秋がいいですね。でも、日が暮れるのが早いから暗くなりません?」

「暗かったらグラウンドの照明をつければいいよね」

「そうしたら、焚火が見えなくなっちゃうじゃないですか」

「いやいや、焚火は暖をとるためだからね」

「スタンツをするときは照明を消してさ」

「いいですね」

「だったら、星空映画館みたいなこともしたいですね」

「子供の頃、体育館で映画を見たこともありますよ」

「体育館で家からもってきてもらったテントをはってさ」

「家庭科室でカレーをつくるのもいいですね」

「それ、すごく楽しそうです」

 

 大笑いをしながら、ああでもない、こうでもないと話をしていきました。実現できるかどうか?と真剣に問われたら、できないと思います。でも、子どもたちのために何かしてあげたいという気持ちは持ち続けていきたいなと思いました。

 

 

 ほらほら、こんなに覚えているじゃん!思い出す努力をすれば、きちんと覚えているんだよ。時間をかけてしっかりと思い出すということが自分にとっての課題です。これ、「アウトプット大全」を読んでいたときにも感じたなぁ。インプット3割、アウトプット7割。2週間で3回アウトプットすることで記憶が定着するって書いてあって、「具体的にそういわれるとすごく分かりやすい」って思ったな。

 

 

話す行為は瞬発力

こうやって書き表しているとじっくりと思い出すことができるけど、会話の中ではそれがなかなかうまくいかないんですよね。頭の中で思い出そうとすると会話が止まってしまうから、思いつくままに話すんだけど、思いつくままに話すと具体的なエピソードが出てこなくて。会話が止まった後に「そういえばこんなこともあったなぁ」と思うことが多くて、しょぼんってなります。「この話がきたらこんなことを伝えたい」って準備することが大切なのかな。みんな、話のネタって準備してから職場に来ているのだろうか……。誰にも聞けないけど。妻に聞いてみようかなって書きかけて、文章をがーっと消しました。なんか恥ずかしくなってきたので。

 

よし、まずは話題を選んで話す準備をしよう。「この人に会ったらこんな話をしたい!」ってあっためておこう。できることから少しずつ。なりたい自分になるために。

「かくれたカリキュラム」に光を当てて授業改善!

「あなたのクラスの状態は学級崩壊です。」

 

 これは教員になりたての頃、臨採で担任を持っていたときに教頭先生から言われた言葉です。その時は、「この人は何を言い出したんだ?どういうこと?」って思っていました。いや、このブログを書く今日の今日までそう思っていました。そんな訳ないって。今日はそんな話をします。

 

昨年から積ん読だったこの本

 どうしてこの話をしようと思ったかというと、一冊の本を読み終わってアウトプットをしたいと考えたからです。そして、過去の自分を助けてあげたくなったからです。

その指導、学級崩壊の原因です! 「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド

 この本は、近所のフタバ図書にふらりと立ち寄って、『何かおもしろそうな本はないかな?』と考えていたときに偶然目に飛び込んできた本です。表紙を見ながら当時の教頭先生の声が脳内に響いてきました。

「あなたのクラスの状態は学級崩壊です。」

 いや、そんなことはない。自分で自分のことを肯定しました。こういうのって「正常性バイアス」って言うんでしょうか?それとも「現状維持バイアス」って言うんでしょうか? ただ、その数年後も少し危ない時期がありましたので、自分自身に原因がかくれているのではないか?と考えました。

 

 

かくれたカリキュラムとは

権藤氏は著書の中で、かくれたカリキュラムを「教師が意図も意識もせずに教え続けている教育内容」と紹介しています。 

 例えば、

  • 教室の掲示
  • 教師の身なり
  • 言葉かけ
  • 児童への対応
  • 指導

先生が一生懸命やっているにもかかわらず、子どもたちが集中できていないのは、先生が意図せずに教えてしまっているカリキュラムがあるのではないか?と仮説を立て、そのかくれたカリキュラムに光を当てて見えるようにすることで実践の改善や強化を進めていこうという話でした。細かく場面を分けて、こんな場面では、「〇〇(ある指導)が、〇〇(子どもたちの反応)につながる」という事例を一つずつ紹介していました。

 

僕が一番気を付けなければいけないと感じたことは、児童の指名と発言のさせ方についてです。この3年間、6年生を3回担任しました。どの学級でもなかなか発言が活発にならず、どうすればいいのか?という疑問だけで特に何も策を講じていませんでした。それこそが「かくれたカリキュラム」だと気づきました。挙手がなければ挙手をするように、発言が少ないなら発言を多くするように、教師側が策を講じる必要があったのです。

 列で指名をして全員発表にする、挙手をした児童全員にきちんと発言権を与える、間違えることで授業が活発になるからこそ、たくさんの発言をするようにと働きかける行為こそが大切だったのだと感じました。 

 このように、自分の意識している範囲を増やすことで、授業改善がどんどん進んでいくことが分かりました。権藤氏は図を使いながら、次のように説明しています。

 

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 図は、力のある教師とない教師の対比イメージです。人間の意識は、よく氷山に喩えられます。ほとんどは無意識の領域で、意識の療育は少ないと言われます。力量のある先生は、自分の「かくれたカリキュラム」にたくさんの光を当て、改善し続けています。「そんなところまで考え抜いているのか」と驚くほど、いろいろなことに配慮していたり、周到に準備をしていたりしています。意識の領域が広いのです。(p.85)

 

 この本から学んだこと

 1.言わないことも指導になる

注意していないこと、気付かなかったこと、話を後回しにしてしまったこと、その場で伝えなかった行為そのものも指導になってしまう。言葉だけではなくて、児童は教師の行動もよく見ていることを自覚する必要があります。

 

 2.意識の範囲を広げることが改善につながる

 発言の意図、机間指導の意図、板書の意図、関係づくりの意図、雑談の意図……意識することで、自分の行動は作戦になり武器になります。

 

 せっかく感じたことを自分だけで留めておくのはもったいないし、考えたことを表現して伝え続けないと記憶に残らないことも分かったので、ちょくちょく思い出しながら意識の範囲を広げていきたいと思います。

 

最後に、過去の自分を思い出してみる

 そういえば、、と自分の記憶をたどってみました。4月、授業をどのように組み立てたらいいのかわからず、かといって誰かに相談することができませんでした。自分の授業のイメージをなぞるように日々を過ごしていました。週案を立てる時間が取れず、途中からは教科だけを週案に書き込み、児童と一緒に教科書を開いて授業をしたこともありました。宿題を見る時間もノートを見る時間もどこにあるのか見当つかず、帰りの会に急いで漢字ノートに丸をしていました。きっと毎時間何かを探していたと思います。児童が帰ってから教室の片づけをして、隣の先生と授業のことや進度の確認をし、プリントや成果物の確認をしていたらあっという間に18時。テストの丸付けを19時過ぎからしたことも1回2回ではありません。毎日のように保護者に電話連絡をしていたし、1時間近く電話をすることが何日も続きました。一人の児童の行動を抑えることがなかなかできず、教室の授業が中断したこともありました。家庭訪問に行くことも何度もあった気がします。自分の失言から児童同士の関係を壊してしまい、保護者からお怒りの電話や手紙をいただきました。また、同時期に他の児童ともいざこざがあり、両方の保護者を巻き込んでしまいました。いつも気が付くと21時頃。家に帰る頃には22時になっていて、実家だったからご飯を貪り食って泥のように寝て、7時20分に家を出て…。繰り返す毎日をなんとかかんとかやっていた気がします。当時の自分は、これが当たり前だと思っていました。クラスの様子はあまり思い出せませんが、落ち着いていて何事もうまくいったなんてことはなかったと思います。

 

 って、ここまで自分のことを書いてみて確信しました。この状態は、「学級崩壊」もしくは「教師崩壊」の状態でした。当時の教頭先生、自分を救い上げてくれてありがとうございますという気持ちになりました。昨日までは「このくそ!何でそんなこと言うんだ!こんなにがんばっているのに!」と思っていたので、えらい違いです。当時の自分にこの本を見せてあげたいです。きっとたくさんの気づきがあるはずだから。